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五.月の印
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「さぁて、どうするかねぇ」 アーベン軍を目の前にしてザインは呟く。淡い明かりに光る彼らの目は、どれも敵意を剥出しにしてくれていた。 「指揮官ぶっ殺したら戦意なくすかと思ったんですけどねぇ、考え、甘かったですかねぇ」 お茶らけ口調で言うのはキリアン。彼は小振の剣を鞘から抜いた。刃をアーベン軍に向けて、もう一言。 「ま、相手も全員歩兵。なんとかなるんじゃないっすか?」 キリアンはそうして余裕を感じさせた。だが、その相手は四十人程。いくらザインとキリアンとはいえ、勝てる見込みのある数ではない。 「――お前は逃げればいいんだぞ」 剣はかまえたまま、ちらりとだけ見てやる。 「兄貴は逃げるんすか?」 「いいや」 「だったら俺も逃げません。――言ったでしょう? 俺は兄貴の時間をもらうんだって。だから俺、兄貴の行くとこどこでもくっついてって、きっちり兄貴の目の前で兄貴よりも先に死んでやりますから」 そう言うキリアンはどこか笑っているようですらあった。ザインにしてみれば、お前までこんな所で無駄死にする必要はない、と言いたいところだったが、それが声になって出ることはなかった。 敵が、かかってきたのだ。 キリアンは「じゃあ、お先に」と口走ると地を蹴っていた。彼の肩を捉えるはずだったザインの手は、そのまま剣の柄に添えられる。刀身を立てると衝撃が走った。身体全体で敵兵の剣を受けとめた。 ザインとキリアンに向かうアーベン軍の勢いにはただならぬものがあった。よりによって二人が殺した隊長はかなりの人徳者だったらしい。アーベン軍が二人に顕にしているのは敵意、しかも憎しみ。アーベンとジグルなどという民族の問題ではなく、極めて個人的なもの。彼らが抱いているのは戦いに対する義理でも脅威でも義務感でもない。どうしようもない悲しみと、怒りだ。 だから、彼らは退きはしないだろう。ザインとキリアンの隙をついてこの場を去り、他の部隊の援護に行ったり、後方の陣営まで戻って隊を建てなおしたりはしないだろう。隊長の仇を取るまで、決して諦めることはないだろう。 「――――」 自分に向かってくる兵士たちと刃を交えながら、ザインには今までにない感情が生まれてきていた。哀れみ、だ。これまでに心底恨まれたことがないわけではない。自分は戦って、時には人を殺すことによって生きてきたのだ。殺した相手にどんな家族がいて、友人がいて、恋人がいて、どんな過去を背負っているか、そんなことはザインには関係のないことだった。憎しみをぶつけてくる相手も一蹴に伏してしまえばそれでよかった。そうしなければ自分は生きていられなかった。他の奴のことなどをかまっていられる余裕はなかったのだ。 だが、今初めて、ザインは敵兵に対して哀れという気持ちを持った。同情をした。余裕が生まれたわけではない。否、生まれたのかもしれない。ただ我武者羅に戦うではなく、今の自分は確固たる目的を持っている。そのために――。 そう、そのために。自分は戦っている。同情はしても手加減する気は微塵もない。彼らを全滅に追いやることこそが一番の形だと思っていた。確かにカリーナ隊を行かせた後、キリアンと共にさっさと立ち去ってしまうことは簡単だった。以前の自分なら間違いなくそうしていた。それをなさなかったのは、この目の前の兵たちが何らかの形で後々災いを起こすことを恐れたからだ。ここでこの兵たちを野ざらしにすれば、結局彼らはカリーナ隊の背後を突く形を取れることになる。騎兵と歩兵の違いはあれど、万に一つの可能性をザインは憂いた。 だからこそ、今こうして彼らの総攻撃を受けていることも望むところだった。例え、自分には生き残る可能性が全くなくとも。 時間が稼げればいいのだ。憂慮したことが現実のものとならなければいいのだ。カリーナのために死ねれさえすればいいのだ。 「――――」 ただ、ただ、一つだけある気がかりといえば、キリアン。 自分の目の前で死ぬという彼を止めることはザインには出来なかった。自分が望まないからという理由だけで、彼をこれ以上苦しめることは出来なかった。 彼の求めるものが分かるのだ。その裏に隠された苦しみ。本当の気持ちに気付かなかったとはいえ、伊達に何年も一緒にいたわけではない。そうだ。何年も一緒にいた。ただの傭兵仲間というだけでは言い尽せないだけの月日を共に戦い、共に生きてきた。彼が自分にとって何者であるか、友人、弟分、弟子、家族。どれもがそうであり、そうではない。 かけがえのない、キリアン。 彼を自分の所為でこれ以上苦しめたくはなかった。だから、彼が自分の目の前で自分より先に死にたいというのなら、自分はその望みを叶えてやるべきなのだ。それ位のことしか、この自分には出来ないというのなら。それで、少しでも彼が救われるというのなら。 「――――」 だが、出来ることなら自分は、キリアンに。 キリアンに。 普通の幸せを、手に入れてほしいと――。 その時ザインは、大剣を振り回し、敵兵三人を相手取っていた。三人の敵兵は我武者羅だった。燃えたぎる憎しみを剣にこめてザインに向かってきていた。ザインも真剣そのものだった。三人とならばまだ対等に戦えたが、手を抜くほどの余裕はなかった。 目の前で剣が振り上げられるのを見て、刃を交えていた相手の腹を蹴飛ばす。とっさに身構え、衝撃を待つ。 「――――」 そして、一人の剣を刀身で受けとめた瞬間、ザインはこめかみの先に違和感を覚えた。 彼は敵兵の剣を押さえこみながら、本能的に視線を走らせる。 右斜め前方。 「…………」 そこには、影があった。 影。暗闇の中で、不思議に浮かび上がる、黒い影が――。 「――キリアン――」 風は、凪いでいた。 頭上では月が妖しく煌めいていた。 薄雲に隠されもせず、月はその揺らめく光を下界へと注ぎこんでいた。 温かく、冴々とした月光。 凛とした姿の神々しき月。 そ知らぬ顔をした、無情の死神――。 「キリアン――!」 彼は双眸を見開き、じっと月を見上げているようだった。 嗚咽を洩らすでもなく、ただ無言で、切に月を求めているようだった。 やわらかい腹に剣を抱いたキリアンは――。 「キリアン!」 死神が、キリアンの頭上で微笑んだ。 月の明かりの如く煌めく剣が、幾本もキリアンの体に差し込まれた。 そのたびに彼の体は踊る。 死神と共に飛び跳ね、赤い血を撒き散らし、然もおかしそうに体を捩って、笑う――笑う。 「キリアン!」 突然の出来事にザインは自制を失った。 踊りに疲れ果てたキリアンの体が地に落ちるのを助け起こすため駆け寄ろうとした。手をのばそうとした。彼の体に触れようとした。 彼の体温が欲しかった。肌のぬくもりが欲しかった。ザインはそれだけを求めて飛び込んだ。 月明かりの切っ先が、ザインをも包み込まんとする中に。 「――――」 許せない。 死神は。 許せない。 よくもキリアンを。 キリアンを。 あいつは、あいつは。 「――!」 血潮の、絶叫。 ……どこかで、声がする……。 「仕留めたぞ!」 「よくも隊長を殺めやがって!」 「二人でどうにかなると思ったのか!」 「当然の報いだ!」 「仕留めてもまだ腹立たしい!」 「首もはねろ!」 「完全に殺せ!」 ……キリアン、キリアン……。 ……俺は、俺は、死なん……。 ……俺は、お前との、約束を……。 ……約束を……。 ――カリーナ――。 |