BACK TOP NEXT


四.宴
〜4〜
 

 月が高い。
 遠く小さくも、下界へと淡く冷たい光を投げかける月が。
 風に揺れ動く木々の葉の隙間から、全ての物を包み込んでいる。時も、人も。限りない、母の如き優しさで。
「何だよ。ちっとも見えないじゃないか」
 月を見上げるザインのそばで、傭兵仲間の一人が憎々しげに言う。彼は、小さな崖の端にそそり立つ大木の根に手をかけ、身を乗り出して、眼下の広場を見下ろしていた。あの広場は、只今十三夜の宴が行なわれている場所。四方を盛り上がった土地の森に囲まれた楕円形の広場の両側には、正規軍の将と祭司たちが列席し、広場の真ん中には篝火が正方形を形どって焚かれ、それを越えた向こう側に、祭壇と【月の印を抱く者】ヴィゼルがいる。ヴィゼルの背後にも篝火があるため、彼女の顔は遠く暗く、よくは見えない。
「駄目だな、こりゃ。全然見える位置に出てきそうにもないや」
「ありゃわざとなのか? ヴィゼルの顔を暗くしちまうなんて」
「輪郭をぼかして刺客を警戒しているんだろ」
「狙い定まらないようにか」
「おい、もしかしてお前この処置も知っていただろ? だったらどうしてもっといい場所を確保しないんだ」
「そうだ。確かにここから宴の様子はよく見えるが、肝心のヴィゼルの顔は見えない」
「俺たちが何を目的にきたか分かっているだろう? ヴィゼルで目の保養しようっていうんだぜ」
「しかしこれじゃあ意味がない。だろ、キリアン」
 この場にいる傭兵はザインとキリアンを除いて六人。その六人が口々に文句を垂れる。キリアンはザインの隣で口を開く。
「仕方ないだろう? これ以上近付いたら宴に出席している奴やら、近衛兵にみつかっちまう。警備兵とは話つけられるけど、将軍級や近衛兵相手は無理だよ。仕事なくすか、へたすると殺される」
「でもなあ。ヴィゼルが見えないとなれば、楽しさがぐんと減る」
「俺たちはお前と違ってヴィゼル目的なんだ。分かってるだろう?」
「あんな美人、そうそうお目にかかれるもんじゃないからな」
「ああ。どうしようもないな。しけた酒になりそうだ」
 ヴィゼルを見たい、その欲求のためにキリアンに場を作るよう求めた彼らは、それがうまい具合になされないとあって容赦なく次々に愚痴を言う。キリアンもそれには黙っていない。この場を提供できたのは自分の手腕によるところが大きく、それは正統に評価されるべきだと、それだけの自負があるからだ。
「しけた酒? 冗談言うなよ。最高級の代物だぜ。食事もだ。天幕にいちゃあ絶対に、下手をすると一生お目にかかれない代物だ。場所にしろ、酒にしろ食事にしろ、お前たちはこの俺に文句があるって言うのかね?」
 口調は、いつもと変わらない。誰に対しても与える印象はそう変わるものではない。どんな時でも本気になることなどなく、巫山戯ているのだ。と、彼らは思っていることだろう。だが、ザインには分かっていた。いつもと表面上のキリアンは変わらずとも、今、彼が傭兵たちに斬りかかっていっても全くおかしくはないのだと。しかも、キリアンなら眉一つ動かさず全滅に追いやりかねない。
「別にいいじゃないか。ヴィゼルがなんだ。元を正せばただの女だろう? 酒も食事もうまいし、こうして本来見ることの出来なかった宴を見物できている。雰囲気だって伝わってくる。それを肴にすれば、存分に酒も楽しめるさ」
 気怠くザインが言った。単純な傭兵どもは、それもそうかと何事もなかったかのようにそれぞれが酒や食事に向かう。もともと何かにつけて祭をしたがっている奴らだ。些細であってもきっかけさえあればいいのだ。もちろん、それをしかけたのが、傭兵隊の闘技大会で優勝し、皆から一目置かれているザインである、というのは大きな所以なのだが。
 不機嫌になっていたことすら忘れたかのように彼らは酒を回し食事を回し、勝手に盛り上がる。時々声が高くなると、誰からでもなく静かにしろ、と声をかけ合い、どうにか見つからずに雰囲気だけでも横取りさせていただこうとする。
「それにしても信じられないのはお前たちだ。あんな美人を目の前にしてなんとも思わないとはな」
 一人が、ザインとキリアンにそう話しかけてきた。あんな美人、もちろんヴィゼルのこと。
「きれいだとは思ってもねぇ、そこでおしまい。興味わかないな」
 そう答えるのはキリアン。
「お前女に惚れたことあるのか?」
 誰かが聞く。キリアンは軽く答える。
「やだなあ。あるさ。男相手で惚れたのは兄貴だけ」
 そうやって冗談めかしてしょっちゅう口にするから何が本気か分からなくなるんだ、現に見てみろ、他の奴らはお前のその言葉が本気だとは露にも思っちゃいないぞ、などとザインは心の中で呟く。もちろん声には出さない、出せない。ただ笑っているキリアンを呆れた顔で見てやる。
 その時、杯を手にした上機嫌な奴の声が、少し離れたところから飛んできた。
「ザインの旦那は他の女に恋しているからって?」
 途端ザインは呆気に取られ、目を丸くしてだらしなく口を開いてしまう。そんな話が出回っているなど初耳だった。大体、その素振りを傭兵隊の中で見せた覚えはないし、自覚だとてつい先程のこと。それに、女に恋? 恋だと? 恋などという言葉が使われるほど初心な奴らか? 心の中で反芻するだけで馬鹿らしくなってくる。一体どうしてそんな話が――。
「……キリアン……?」
 思い当る節に行き当たって、隣で何気ない顔をして座っている彼を見る。返されるのは相変わらずの笑顔。やはり、こいつだ。
「俺は、ちょくちょく駐屯地を抜け出していく兄貴はどこ行ってるんだ、と聞かれて、恋は盲目、って答えただけっすよ」
 ああそうかい、と呟いてザインは深々と嘆息。本気になって絡む気力はなかった。無言の承認になってしまってもかまうものか、という心境だった。
 それに、……そう。昼間の取り乱し様はどうしたのかと言ってしまいそうなほどに、キリアンはいつもと同じ、巫山戯たような声を出し笑顔でいた。いつものキリアン。自分がよく知っているキリアン。ねばっこく後を引かないのは有り難かったが、それがどこか哀れにも感じた。
 もう一度軽く息をつくと、視線を広場に向けてみせる。いつのまにか祭司たちの祈祷は終わっていたらしい。広場に置かれた篝火の傍では、顔に化粧を施し、極彩色の衣装を纏う人が数人いた。それと、篝火に囲まれた中央には、太鼓と笛。
 その太鼓が地中から響く。ゆっくりと化粧をした人たちは動きはじめ、甲高い音を鳴り響かせる笛も、静かに後に続いて広まる。
「何が始まったんだ?」
 干し肉を口にした傭兵の一人が身を乗り出し様子を見ると尋ねた。キリアンが視線を眼下に向けたまま、答える。
「奉納の舞だよ。ジグル独特の舞踊さ。題材はジグルの神話。人間の創世と月の成立」
 干し肉を啣えていた傭兵は、その舞がやけにゆっくりとした抑揚のないものだと知ると、さっさと引き上げ、他の奴らと再び騒ぎ始める。しかし、ザインはその舞から目をそらさなかった。キリアンも、隣で見つめている。
「始、天には太陽とその影があった――」
 キリアンは、静かにジグルの神話を語り出す。物語は、太鼓と笛の音、優美な舞と共に、優しくザインの中に入りこんでくる。
 
 
 
 ――太陽は地に人というものを作りたもうた。人は自らの意志で動き、太陽を崇拝し、地で生活を営んだ。太陽は自分に従順な人というものをたいそう気に入り、途絶える事無く人を作り出しては地上に下ろし、彼らの生活を上から覗いては楽しんでいた。
 しかし幾許もの時が過ぎ、地が人で溢れんばかりになろうとしていた頃、人は太陽に従順ではなくなった。たくさんの人と、人を可愛がるあまりずっと休む事無くその姿を天に現していた太陽の光のために、地上の気温は上がり下がることを知らず、人は暑さに悶え苦しむようになったからである。人は太陽に暴言を吐くようになった。崇拝することを忘れるようになった。そんな様子をその限りない輝き故に目のあたりにした太陽は、怒り狂い、人に言った。
 
 
「人間たちよ。お前たちは私をいらぬと言うのか」
 
 
 愚かな人は太陽にいらぬと答えた。返事を聞いた太陽は人間への愛着を失い、もう人を作り出そうとはしなかった。その代わり、人に人を作り出す術を教え、自分がなくとも勝手にやるがよいと、姿を隠したのだった。
 太陽のなくなった地上の気温は下がった。今度は上がることを知らず下がり続け、人は寒さに凍え苦しむようになった。人は太陽を求め太陽を呼び続けた。しかし決して太陽は現れず、地上には人の苦しむ声だけが木霊した。
 そんな様子を太陽の代わりにじっと天から見守っていたのは、太陽の輝き故にその存在を隠されていた影だった。太陽の影は、ある時人にこう言った。
 
 
「愚かなり、人間たちよ。お前たちは光の怒りをかった。我が主の愛を消した。最早怒りがなくなることはない。愛が戻ることはない。おお、愚かなる人間たちよ、そして愛しき人間たちよ。私が我が主に成り代わり、ここにお前たちに『死』という名の許しを与えよう。そして私は、この暗闇に閉ざされた地を少しだけ照らしだし、お前たちが新たな世を作り出していく様を見届けようぞ」 
 
 
 こうして、人には『死』という終焉が訪れるようになった。暗闇の中に、淡い明かりが舞い降りるようになった。だが、暫らくして地上の様子が気になった太陽は、自分のように地上を照らしだしている影を見付け、再び怒りをつのらせた。
 太陽は影に問うた。
 
 
「お前はなぜ私に逆らう」
 
 
 影は太陽に答えた。
 
 
「私はあなた様に逆らったわけではありません。私は人間が可哀想に思えたからこうしたまでのこと。ですからお願いです。確かに人間は小さく弱く愚かです。が、元はあなた様のなしたもの。そんな人間に光を分けてやってください。彼らは、光がなくては生きてゆけぬ程か弱いのです。ただ、こんな私があなたのお気に召さぬというのなら、私はあなたから姿を消しましょう。しかし、最早彼らの運命が変わらぬことは、お忘れなさるな」
 
 
 こうして影は太陽が現れない夜、その姿を現して暗闇の中の人間を見守り、太陽が現れる頃、すっとその姿を何処ともなく隠すようになったのである。
 そしてこの影こそが、闇夜を照らしだす月なのである――。
 
 
 
「…………」
 キリアンの語る物語が終わろうとも、眼下の舞は続いていた。
 炎の宿る松明を手にした踊り子が太陽、冷たく鋭い光を反射する剣を手にした踊り子が月。彼らの足元でうごめく踊り子たちが愚かな人間。太陽は怒りに体を動かし、月は嘆きに体を捩る。
 舞の音頭を取る太鼓と笛の音は、静かな緊迫感を醸し出し、それに呼応するかのように、踊り子も内に秘めた莫大な力を押さえこんで緩やかに力強く軌跡を描く。
 静かな太鼓と笛の音だけが響く空間の中で、踊り子同士の力がぶつかりあっていた。もちろん目には見えない。だが、気迫だけは充分に押し寄せてきていた。離れたザインの所にまでも。
 だから、ザインは舞から目を離せなかった。無表情のまま、ただその穏やかな動きを見下ろした。
「…………」
 相対する太陽と月。光と影。
 人間に生という苦しみを与えた太陽と、死という安楽を与えた月。
 ザインの故郷ももちろん、他の民族では太陽を崇拝している所の方が多い。その輝き故に、人々は太陽の力を信じ崇め奉る。今までなぜジグルが月に神性を見るのか、そんなことを考えたことはなかった。だが、神話を聞いて分かったような気がする。
 どのような者であっても、最後に行き着くところは死。その死という終着点を与えたのが月。人は死を恐れる。だが恐れるに足りぬと、月は言う。死は、疲れきった者が安らぎを得られる場所なのだと。だから人間よ、自分らの地で精一杯生を生きぬいてみよ、と。
 死に恐れを抱かぬ者たちは命を懸けて生きるだろう。アーベンに統合される前、ジグルの民が死をも恐れぬ勇敢な民だったのは、その神話の教えに由来しているはず。そんな民に命の大切さを教え、無駄な争いを避けるよう説いた当時の祭司たちの手腕に脱帽する。ヴィゼルという運命の人が現れるまで、祭司が何よりも力を持っていたというのも分かるような気がする。
 ならばなぜヴィゼルのような存在が現れた? ヴィゼルの存在が、今のジグルに本来の猛々しい民族性を思い起こさせている。人々を戦いの場に追いやっている。
 彼女が、【月の印を抱く者】? 月の意志を代行する者?
 人々に命を懸けた戦いを強いている者が?
 ――もしやジグルは、月という名の死神を見いだしたのではなかろうか――?
 そんな考えに行き着いて、直ぐ様ザインは頭を振った。両目を閉じ舞から目をそらす。冷たい感触の地に視線を落とす。
 違う。
 そう。違う。
 少なくとも、自分にとっては。
 他の奴らのことは知らぬ。何のために戦い、何のために命を懸けるのか。ヴィゼルのためという者も確かに多くいることだろう。だが、自分は違う。今では、はっきりとそう言うことが出来る。
 違う。自分はヴィゼルなどという運命には出会っていない。
「ねえ、兄貴」
 不意に、キリアンの声。視線を流す。
 じっと舞を見下ろすキリアンは、ゆるりと言葉を紡ぎだした。
「悔しいけど、俺、兄貴の命はカリーナにくれてやります」
 聞いていたのか、と問いただしそうになり、留めた。キリアンがそのぐらい難無くやってもけることは、そう、わかりきっていたことだったのだ。
「だって俺、兄貴が惚れた女に命をやりたいっていうの、理解できるから。俺も、自分の命は、兄貴のために使いたいですから」
「おい、キリアン……」
 いつにない悲痛な呟きに、ザインは眉をしかめた。お前まで俺と同じ道を辿る必要はないと、そう釘をさそうとして、やめた。
 彼が、あまりにも穏やかに、言葉を紡ぐから。
「だから、かわりに――ねえ、兄貴。兄貴の命のかわりに、俺が、兄貴の大切な友人であるなら――兄貴の時間、くれますか?」
「時間?」
「俺が、兄貴より先に死んだら、兄貴の手で、埋めてやってくれるって」
「お前、……」
「そうだなあ。場所は……海がいい。兄貴が育った海ぐらい、青くって、暖かい所がいい。そんな海が、見えるところに」
 どん、と。
 地を伝わって響く、太鼓の音。
 穏やかなキリアンの声と、垣間見える、彼の心情。
 自分と同じ道を選ぶ彼の、大切な友人の頼みを、どうして拒否できよう――?
「わかった。約束しよう」
 安心したようなキリアンの表情を目にして、ザインは双眸を伏せた。
 そして、天を仰いだ。
 薄雲にうつる月影を見た。
 淡く、美しい光だった。
 心に安らぎをくれる光だった。
 凛と、誰も寄せ付けようとはしない、孤高の精神を持ちながらも、それでも、自分に癒しを与えてくれるような。
 そんな、唯一の光。
「――――」
 右頬の傷にそっと指を這わせた。
 あの時見たものは本当の死神ではなかった。それを思い知った。
 本当の死神は、鋭い刃を携えた、とびきりの美人だったさ。
 そう呟いて、ザインは目を細めた。


BACK TOP NEXT