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四.宴
〜3〜
 
 

 ――私も一緒に行く。私も戦えるわ――!
 
 
 
 叫んだ、刻。
 
 
 
 ――無茶を言うな。お前は皆と残っているんだ――。
 ――どうして? 私は剣をつかえるわ。父上に教えてもらったんですもの、だから――。
 ――駄目だ、来るな――。
 ――どうして――!
 ――お前は女だろう? 女は村で俺たちの帰りを待っていればいい――。
 
 
 
 嫌だ、と。
 言えなかった、瞬間。
 お前は女だと告げられ、愛する者に付いていけなかったその時。
 誰よりも大きく、誰よりも頑丈だった男の体は、ただの骸となって村に戻ってきた。
 悲しかった。
 悔しかった。
 なぜ無理をしてでも、無茶であっても付いて行かなかったのかと、一緒に戦わなかったのかと。
 ひどく悔やんだ。
 そして、
 彼を殺した賊と、自分自身と、運命を、
 
 
 呪った。
 
 
 
 
 
「――――」
 十三夜の月が頭上で揺らめく。
 雲の合間を縫い、その優美な姿を恥じらいつつも曝け出す、蒼く冴えた月。
 それを見上げるカリーナの脳裏に去来したのは過去の情景。もう思い出すまいと誓っていたはずの。
 けれど、誓いはいつも破られていた。破られるたびに胸は締め付けられ、苦しみに耐えるために奥歯をかみ締め、もう思い出すのはやめようと、再度誓うのだった。
 でも、今は。
 もう、今は。
 穏やかな心情で、月を眺めていられる。
 耳に触れるのは、肌の体温を奪い去る風と声高に発せられる祝詞の句、髪の先。
 頬を撫でていく髪の感触は擽ったい。
 ふと、沈黙は訪れる。視線を天から左手側、空け放たれた楕円状の地の尖った端に流す。そこには深々と頭を垂れている祭司たち。彼らの前には、簡易的な祭壇。奉られているのは、月の象徴とされるジグル鋼の神剣。そしてそれと並んで鎮座する【月の印を抱く者】ヴィゼル。
 篝火は、宴に列席する将たちの元にいくつかと、目の前の広間の中央に正方形を形どって四つ、祭壇とヴィゼルの両脇後方に二つ。そのため、ヴィゼルは背から光を浴びることとなり、その顔には深い影が落ちる。表情は元より容貌ですら判然とはしない。彼女から感じ取れるのは凛とした姿勢だけだ。
 祭司たちが祭壇の前を後にし、広場には色とりどりの化粧をほどこした者たちがぽつりぽつりと現れ始める。と、場は俄に騒めきだす。席を離れる者の姿も目につくようになる。カリーナも背後に人の気配を感じた。名を呼ばれ、振り返る。酒瓶を手にしたダウバ将軍。カリーナは、恭しく空の杯を差し出す。注がれるのは白濁した酒。一気に飲み干した。
「見事だ、将軍。思い切りがいいな。髪も切られたか」
 最早酒に酔っているのか、ダウバの頬がいつもより赤らんで見えた。口調も軽い。
「どのような真意だ。なぜあれほどまで見事な髪を切りなされた」
「今までけじめを付ける思い切りが足りなかっただけ。それだけです」
「そうか。さぞかし頭は軽くなったことだろう。そのせいだろうか。喜ばしいかな、私にはそなたの中に、今まで以上の決意を感じる」
「――――」
 一言二言激励の言葉を口にし、彼は隣の将の元に寄る。カリーナは手にしていた杯を元の位置に置くと、すでに酒の注がれている杯に目を落とす。持ち上げ、揺れる水面を見つめる。澄んだ黄褐色の酒。
 
 
 
 俺の命を、お前にやる。
 
 
 
 その言葉が思い起され、人知れず目を伏せ深い溜め息をつく。貴様の命などいらぬ、と、口の中で小さく呟く。
 あの時、カリーナはそう言わねばならなかった。吐き捨ててやらねばならなかった。だが、出来なかった。奴の中に意識は引き込まれたまま、自制を失っていた。
 貴様の命など、欲しくはない。
 もう一度呟き、カリーナは酒を舐めた。あの時と同じ銘柄のもののはず。なのに、より苦く感じる。おいしいという感動がない。無造作に杯を置いた。揺れる水面。もう口になどしたくない。
 風が吹き、篝火の火の粉が脇を掠め通った。それを何気なく目の端で追う。頬の隣で自由に風に舞う髪があった。妙な感触だ。まだ切り揃えさえしていない髪が自分のものだとは。自らなしたことだというのに信じられない。自分ですらこうなのだ。だとしたら、他者の驚きはよほどのものであろうか。
「髪を、切られたのですか」
 この姿を目にしたゲルヌは、真っ先にそう呟いた。宴の迎えに再び天幕を訪れた時。彼は驚いていた。しかし、それよりも彼は悔しさを隠しきれないでいた。
「なぜそのような顔をする? 似合わぬか?」
 カリーナは、問うた。ゲルヌはすぐさま「似合う」と口にし、こう答えた。
「今、カリーナ様はとてもよいお顔をなされております。満ち満ちたお顔をされている。それが髪を切ったためにせよ、あの男のなしたことだと思うと、悲しくなるほど悔しいのです」
 髪を切ったのは私だとカリーナは告げた。それ以上、ゲルヌは何も口にはせず、カリーナを宴の会場まで導くと警護に向かった。最後まで彼は釈然としなかったらしい。眉を顰めたままだった。カリーナはそんなゲルヌに何も声をかけてやることが出来なかった。髪を切り落としたのは自分だ。だが、激情に任せたとはいえ、それを仕向けたのはザインに違いない。彼がいなかったらこんなことにはならなかった。それも事実だ。無論、奴のために切り落としたわけでも彼の所為で切り落としたわけでもないとカリーナは思っている。自分がそう決めそれをなした。今まで得られなかったきっかけを無理矢理与えられた、それだけのこと。大体、髪を切り落としたからといって、何か変化があったというわけでもない。頭が軽くなった、そのぐらいだ。
 他に変化など、何もない。
「――――」
 篝火の光を浴びたカリーナの目の前の広場には、化粧を施し、派手な衣装を身につけた人々。彼らは笛と太鼓に合わせて舞を舞い、それを月への奉納物とする。その準備が終わろうとしている。場は徐々に静寂を取り戻し、時を待つ。
 不意に、カリーナは視線をヴィゼルに向けた。身動ぐ事無く、前方を見据えるヴィゼル。【月の印を抱く者】。ジグルの民を未来へと導く者。革新、変革を促す者。全てを超越する絶対者。運命。
「――――」
 そうだ。変化。
 何もなかったわけではなかった。ダウバもゲルヌも口にしていたとおり、カリーナの心は不思議なほどに落ち着いていた。今まで自分の心は浮き足立っていた、その事実を思い知らされるほどに。確かに、二人の言うとおり、カリーナにはこれまでにない決意が芽生え、心が充実しているのだ。決戦を目前にしているのにもかかわらず、不思議なほどに全てを冷静に見つめることが出来るのだ。
 自分の目指すものでさえ。そう、自分のなすべきこと、なさねばならぬこと。迷いはない。微塵もない。今まで気付くことすらなかった、微かな、しかし、自分に不自然な虚勢を張らせてしまうほどの不安さえ。
 あるのは信義と、未来への希望。
 今のカリーナには、独立後の自分がはっきりと見える。
(そう……全ては、夢)
 半月の夜、自分が目にしたものは。あの時のヴィゼルは。幻。
(ありえぬ……ありえぬのだ。あのお方に限っては、絶対に)
 間違えたのは自分。彷徨ったのは自分。弱さを隠していたのは自分。あの夜見たものは髪と一緒に切り落とした自分。この自分。
 だから。
(未来は、違う事無くあの方と共にあるのだ――絶対に)
 大きく一つ。太鼓が鳴り響く。
 舞は、光を浴びてゆっくりと動きだす。


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