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三.悪夢
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先にその異変に気付いたのはザインだった。 その時二人は、話をしながら、後数歩足を進めれば岩場の陰からヴィゼルの天幕が臨めるという所まで、足を進めていた。 「おい。あれを見ろ」 突然、話を遮りザインはそうカリーナに囁いた。目線で示すのは、岩場を飲み込まんとするように横たわっている森。その中。 木々の間から時折漏れてくる小さな明かりが、移動している。 ランプの明かり? 「誰だ?」 風が凪いだ。草の擦れる音が耳に届いた。 間違いない。 人だ。人が、ランプを片手に、カリーナたちがいる道ではなく、わざわざ足場の悪い森の中を通ってどこかに行こうとしている。 「付いていこう」 告げると同時にカリーナは足を進めていた。その人物は、天幕とは逆の方に向かっている。……いや、天幕から来たという方がいい。そうだ。この森は岩場にぶつかって終わる。その向こうには天幕が張られ、そこにはヴィゼルを守る者が何人か張っているのだ。天幕を越えたところからこの森に入るのは無理だろう。でも、天幕の傍らにいて、そこからならすぐだ。 カリーナとザインは相手に気付かれないように、森の中を行くその人物の斜め後ろを平行して歩いた。歩調は早かった。今にも走りだしそうな勢いだった。 と、森も中程に差しかった頃、その人物は急に立ち止まった。カリーナとザインも立ち止まる。その人物が周りを伺ったので、身を低くする。 その人物は、足を道に向けた。カリーナとザインは、草陰に身を潜ませる。その人物は二人と然程離れていない場所から道に出てきた。辺りをに視線を走らせると、今までと同じ方に向かって同じように歩きだす。 冷たい風が吹き、彼女の衣装と頭から被る薄衣を靡かせる。そう。その人は女。そして、 「――――」 雲間から洩れる月明かり。 「……ヴィゼル様……?」 そのカリーナの呟きにザインが「え?」と声を出した。すると、何かに気付いたのか、彼女が少し振り返った。すぐに顔は戻す。 「間違いない。ヴィゼル様だ」 「まさか。……おい、カリーナ」 ザインの疑問も受け付けず、カリーナは体勢をたてなおすと彼女の跡をつけはじめた。ザインもすぐ後ろに続く。 「お前本気でそんなこと言ってるのか?」 「本気だ。私がヴィゼル様の顔を見間違えるはずはない」 「しかし、今は夜だ」 「月が照らし出した」 「だからって、」 「静かにしろ。気付かれる」 語尾を荒げそう囁くと、ザインは口を閉ざした。 彼女は十字路で右に折れた。その道は右側の木々を廻り込む様に曲がっている。方向が変わったのだ。今までは軍の駐屯地から離れるようだったが、また向かうように進んでいる。なぜ? この先には……そう。厩舎がある。馬を手に入れようというのか。 案の定、彼女は厩舎に近寄っていくと、その場の衛兵に声をかけた。カリーナとザインは離れたところで身を潜ませているので、話の内容までは分からない。だが、暫らく言葉をかわすと、衛兵が中に入っていった。出てくると彼女は頭を下げ裏手にまわる。馬の手綱を手に再び姿を現し、今来た道に向かうと馬によじ登り、走らせて去っていってしまう。 「おい。どうするんだよ……」 「お前はここで待っていろ」 困惑するザインを置いてカリーナは月明かりの下に姿を曝すと、厩舎に寄っていった。先程の彼女と同じく衛兵に声をかける。 「すまない」 突然声をかけられ、衛兵の心臓が飛び上がったらしい。びくっと身体全体を震わせた。 「あ、……カリーナ様、ですか?」 まだ若い。おそらく、ゲルヌとそう変わりはしない。……だから、例えヴィゼルが目の前に現われても、そうと受け取ることは出来ないだろう。 「先ほど女が馬を借りにこなかったか?」 「あ、ええ。き、来ました。ヴィゼル様のお言い付けで、氷室に氷を取りにいくとかで……」 突然姿を現した将軍カリーナを前に、しどろもどろに衛兵は応える。 それにしても、氷? 見事な狂言だ。 カリーナは内心溜め息をつく。 「ああ。そうなんだ。ヴィゼル様にも困ったものだよ。突然こんな夜更けに氷を召し上がりたいなど」 ほとほと困り呆れているといった風情で言ってやる。すると、彼の緊張は一気に解けたらしい。口調が砕ける。 「そうですね。大変ですよね。自分は、ヴィゼル様がそんなにわがままな方だとは存じ上げませんでした。……あっ、このことは内緒にしておいてください」 「分かっている。だからヴィゼル様のわがままぶりにも口を噤んでくれ。ところで、実は私も、その任を仰せ使った者なんだ。彼女が出た後、やはり一人では心配だから護衛に付けとおっしゃられてな」 「カリーナ様を、ですか?」 「ちょうど今夜の夜営の番は私だったんだ。だから、」 「馬ですね」 「ああ。二頭頼む」 「二頭?」 「もう一人いるんだ。森の近くで待っている」 はい、分かりました、と返事をして衛兵が中に入っていく。カリーナは裏手に回って馬を受け取るとザインのもとに戻った。仕入れた情報を話す。 「素晴らしいじゃじゃ馬女と見た」 「ヴィゼル様をそう言うな」 「しかしそうだろう? それより、どうする気だ? 当の昔にヴィゼルは馬を走らせて、姿形もない」 「大丈夫だ。大体検討は付いている」 「氷室?」 「それは完全な狂言だ。馬には乗れるな?」 「当たり前だ」 「じゃあ付いてこい」 「行っていいのか?」 「護衛だ」 「お前の?」 「違う」 「なるほど」 カリーナは暗闇の中、記憶を頼りに注意深く馬を走らせた。背後から、同じ調子の蹄の音。ザインもかなり馬には乗り慣れているらしい。そんなことを考える。 それにしても、ヴィゼルの姿は一向に見えてきそうにはなかった。カリーナは正規の武人。剣技もそうであるなら馬の扱いももちろん一流。そんな自分が馬を走らせているのだから、ともすれば程なく追い付けるのではないか、そんな考えを持っていたのだが、どうやら甘かったらしい。 噂は本当だったのだな、と認識する。ヴィゼルが【月の印を抱く者】として認められ政府中核に組み込まれた後、彼女を見付けだしてきた当時の最高位将軍ニトゥカが、兵法、剣技、馬術、その他諸々の事を仕込んだというのは。 【月の印を抱く者】として悠然と構える今のヴィゼルからは考えられないことだ。彼女は、武人としてではなく祭司の雰囲気を纏い、いつもそこに鎮座しているのだから。いや、そのヴィゼルの祭司たる悠然とした穏やかな雰囲気は、ずっと前から変わりはしない。当時もその噂は流れてはきたが、誰も本気にはしなかった。当時の自分たちは、【月の印を抱く者】が戦いの仕方を知る必要はないと、そう考えていたためだ。 そう。当時は誰も、ジグルが戦争をするなど、想像すらしなくて。 「…………」 そうだ。当時、一体誰が、ジグルが戦争に身を投じると考えた? 切り立った崖の上。下方からは強い風が突き付けてくる。細い道に沿って慎重に馬を歩かせながら、カリーナは考える。一体何があったというのだろう、【月の印を抱く者】が現われた、それ以外の何がきっかけとなって、こうして戦争は起きてしまったたのだろう、と。 ヴィゼルの独立宣言、宣戦布告。その情景を、カリーナは今でも鮮明に思い起すことが出来る。月明かりを浴び、神性に溢れた彼女自ら民にに告げた、心に鳴り響く言葉。言霊。 それだけだったのだろうか。確かにその瞬間から、ジグルの切願は「独立」となった。誰もが独立を口にするようになった。 カリーナもだ。その瞬間から、カリーナも独立をめざして命を懸けてきた。命など惜しくはないと、そう思うようになった。皆が、誰もが、独立の先にこそ真の未来があるのだと、そう信じて疑わず、ここまで来てしまっている。 独立こそ、ジグルのあるべき姿だと――。 「カリーナ。集落だ」 突然背後から声をかけられ、カリーナは我に返った。 いつの間にか崖を越え、再び二人は森に入っていた。その先に、僅かな明かりが見え隠れしていた。 集落。ゆっくりと馬を進めると、集落に入る手前の木に、一頭の馬がつながれていた。ヴィゼルが乗ってきたものだ。カリーナとザインもその馬から少し離れたところに、自分たちの乗ってきた馬をつなぐ。二人は中に足を進める。 「ここはどこなんだ?」 ザインの疑問に答える。 「ヴィゼル様の故郷だ」 カリーナはそれ以上口を開かなかった。 集落自体は、風の音がするだけでひっそりと静まり返っていた。ジグルの土地のほとんどが山の斜面であるため、どの集落も少ない平地の中、戸数の割には密集して建っている。カリーナとザインが入ったところから見えた明かりは、三つ四つと疎らだった。そのどれもが、木で建てられた家の中から洩れてきているものだ。 二人は息をひそめ進んだ。先に足を踏み入れているはずのヴィゼルの姿を求める。彼女がどのような用でここを訪れたのかは知らなかったが、外にいなければ家の中にいる。その家は明かりのついている家のどれかだろう。そう考え、周囲にも気を巡らせながら、二人は明かりの灯っている家、一軒一軒に寄っていくと側耳をたてた。だが、どの家の中からも、ヴィゼルらしき声も気配もしなかった。 佇んで辺りを見渡す。激しいほどに強く冷たい風が吹き抜けていく。カリーナは思わず肩を竦め、奥歯をきゅっと噛み締め、目を細めた。と、揺れる立ち木の間から、もう一つ、明かりが見えた。集落のもっと奥。 それに向かって歩きだす。が、すぐに足を止めた。明かりを灯す家から、人が出てきたのだ。とっさに木の陰に隠れ様子を伺う。その人物は、ヴィゼルではない。男だ。彼は片手にランプを携えて歩く。――否、急いでいる。だが、足が悪く走れないらしい。片膝が曲がらず、大きく肩を揺らしながら進み、カリーナとザインの前を通過していく。 二人は言葉を交わすことなく、その男の後ろに続いた。彼は肩からかけた外套を風に翻らせながら、追跡者には全く気付く様子もなく先を急いだ。 彼は森の中に足を進めた。馬を繋いだ森とは集落を挟んで反対側の森。先ほど男が出てきた家からは然程離れてはいない。しかし、ここからは木々に立ちふさがれて、集落の様子をうかがい知ることは出来ない。 その森の中に、彼を待っている明かりがもう一つ、あったのだ。見付けて、カリーナは立ち止まる。月明かりも届かない森の中だ。隣でザインも立ち止まる。ランプの明かりに照らし出されて、男と、彼を待っていた人の顔がほのかに見える。振り返る、彼女。 「……ヴィゼルだな」 小さく確認をとってきたザインに、カリーナは答えなかった。カリーナは、息を殺し二人を見つめた。 風が渦を巻き、向きをかえる。不意に、声は、届く。 「どうしてこんな所に――!」 苛立った男の声だった。ヴィゼルに向けた言葉だった。二人は向き合い、そこにいた。ヴィゼルが真剣な様子で彼に言い返す。だが、その言葉は揺れ動く風の流れのせいで聞き取れはしない。 男はヴィゼルに対し、苛立ちというものをを隠しきれない様子だった。先の一言のように、憤りを吐き出しているようだった。それに対し、ヴィゼルは必死だった。必死になって、彼に詰め寄っていた。その面持ちには、「懇願」という言葉がよく当てはまった。 ――懇願? ヴィゼルが? 「…………」 カリーナの前にいるヴィゼルは、美しい女性だった。暗闇の中でより一層際立つ美を兼ね備えた女性。彼女を一目見た者は、どのような人物なのかと空想に思いをはせるだろう。鈴の鳴るような声に、微笑みは花をも咲かせ、その指先は痛みを癒す――そうであっても、おかしくはない、そんな気にさせてくれる女性。夢を、見させてくれる女性。 そんな、ただの女。 「――――」 吹き荒ぶ風の音と交互に届く声は、カリーナの夢を打ち破る。無残に。 「お願い、コルダ。私の頼みをきいて。――しかいないの。私にはあなたしか――」 「――お戯れを――」 「――お願い、私と共に――」 「目を開いてください。あなたは今、こんなところで――いけない」 「やめて――!」 「――お許しください――」 「ならばいっそのこと――!」 「! 何を仰られるのです! あなたは――立場というものを――!」 「嘘よ! だって――知っているじゃないの!」 「よまい言を! 私は何も――!」 「だって、あなたは――」 「――御覧になっていらっしゃるのです。我らが【月の印】よ。どうぞ――」 「――なんで――!」 「――忠誠を――」 「――いらないわ!」 「夢を見ていらっしゃる――」 「――違う――!」 「――てください。どうか! 我らに未来を――!」 「コルダ!」 「今夜のことは、忠誠に誓って……」 「――!」 「お帰りください!」 「――……!」 風の中。木々が不気味に歌う中。 赤々としたランプを手にする二人が言い合う。最早、声は届かない。言葉は耳に入ってこない。木の騒めきが、草の騒めきが、風の叫びが、凍てついた心の叫びが、カリーナを外界から隔離するだけで。 二つの明かりが離れていく。男は後ろを振り返らない。女はそこに立ち尽くしたまま。 明かりだけが、朧に揺れ動く。 「――ザイン。頼みがある」 無理遣り彼女から視線を引き剥がすと同時にそう口にした。風で、耳が痛い。 「……彼女を……守ってくれ。近付きすぎるな。だが、離れるな。彼女が戻るまで、付いていてくれ」 「俺がか? お前は?」 「私は、先に戻る」 「カリーナ?」 「信頼して言っているんだ。だから、頼む」 「信頼されることは嬉しい。しかし、……おい、カリーナ!」 カリーナは踵を返し、歩き出した。困惑し、呼び止めるザインの声は全く受け付けなかった。ただ、先を急いだ。早くその場を離れたかった。一人になりたかった。体も心も一人きりになって、自信を取り戻したかった。 自信、だ。それが欠けた。失われた。取り戻さなければならない。なんとしてでも、再度、絶対を……! 「――――」 忘れる。全て忘れる。 記憶を入れ替えろ。今ここにいる自分は幻。 そして離れろ。焼き付いた光景。引き剥がせ。 単なるヴィゼルなど。 それこそ、悪夢なのだから――。 |