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二.禊
〜2〜

 
 ヴィゼル一行が禊の場所に現れたのは、ザインとキリアンが川をほぼ正面にとらえることの出来る、生い茂る木に隠された岩場に到着してから半刻程が過ぎた頃だった。
 二人がその場所に辿り着く前から祭司や将軍の何人かは禊場に詰め、禊を行なう場に布を吊し仕切りを作ってなどしていたが、その中にカリーナはいなかった。
 カリーナはヴィゼルと共に現れた。部下と思われる者を三人引き連れ、ヴィゼルの乗る輿の後方を護衛してきたようだ。以前見かけた時と同じように、カリーナは長い髪を一つに纏め、鎧を付け、剣をはいていた。彼女が自分に付き添ってきた部下たちに何かを告げると、部下たちは四方に散り、森の中を警戒し始めた。
 ザインたちがいる場所から輿の止まった場所まではそれなりの距離があった。木々の隙間から彼らの姿はよく窺えても、風が吹いていることもあって声までは聞こえない。禊のためにヴィゼルが入るであろう川の位置はそのまた向こうだ。声高に発せられるはずの祈祷の句も、おそらくは聞こえないだろう。
「それにしても、ヴィゼルとカリーナ将軍以外、女が本当にいないですねー。祭司もみんな男じゃないですか」
 岩の上で腹ばいになり、出来るかぎり姿を隠しているザインとキリアン。その状態の中、キリアンが囁いて言った。確かに、女は二人だけのようだった。二十人以上いる中で女が二人とは。見ていてどこか暑苦しく感じる。
「あ、カリーナ将軍、やっぱりヴィゼルのそばに呼ばれましたね。こういう時は、同性の方が強いんですよね」
 カリーナはヴィゼルの間近での護衛を任されたようだった。ヴィゼルに背を向け、周囲を鋭く睨む。
 そんな時に輿はやっと下ろされ、ゆっくりとヴィゼルが地の上に降りた。ヴィゼルはゆったりとした薄い衣だけを身につけていた。禊用の神聖なものなのだろう。裾は地に付いている。
 彼女が真っすぐ地に立つと、頃合を見計らったようの祭司の何人かがそばに寄って行った。軽く頭を下げると、一言二言言い、彼女が頭から被っていた薄衣を取りあげた。
 ヴィゼルの頭が顕になる。臀部まで伸びる迷いを知らない真っすぐの髪。神がかった美貌と気品、体の隅々から溢れ出る神性。人を惹き付けて止まないその姿。
(もし、――)
 ザインは彼女を見つめ、思う。その、人間ではないであろう女性を見て、考えずにはいられない。心奪われた者は決して考えない、考えることの出来ない仮定。その仮定もまた、三日前に沸いてきたものだ。
(もし、彼女が彼女でなかったならば――)
「おや?」
(果たしてジグルは独立を夢見たのか――)
「何かあったみたいですね」
 キリアンがそんなことを口にした。じっとヴィゼルを見つめていたザインは、その言葉で視線を動かす。秘かにではあるが、確かに何人かの兵が場を離れ、自分たちがいる方とは反対の森の中に入っていく。ヴィゼルは気付いていない。祭司らに促され、吊された布の中に入ろうとしている。カリーナは気付いている。より一層の厳しい表情で、腰にさしてある剣に手を添え、兵たちが消えていった方に視線を走らせている。
 他に覗こうという奴らでもいたか?
「兄貴、あれ」
 囁き声を荒げ、キリアンが指をさした。自分たちが潜む岩の右斜め下。そこに、もう一人の人。始めは自分たちと同じように、禊を覗こうとい不届きな輩かと思った。彼の着ている服はジグルの物だ。だから――しかし、ザインはその一瞬後に異変を感じる。彼が懐から出したのは……弓矢だ。
「刺客!」
 叫ぶと同時にザインは飛び出していた。岩を滑り下り、刺客に向かって走り込んでいく。が、間に合わない。
「刺客っ!」
 もう一度叫ぶ。矢は放たれ、ヴィゼルの衣ごと地に突き刺さる。刺客は再び矢を弓につがえた。それを見て、ザインは足元にある石を拾い上げ、投げ付ける。
「つっ……!」
 石は刺客の背にあたった。弾みで弓を落とす。刺客はザインが走り込んできているのを見ると駆け出した。懐から取り出される短刀。彼が目かけていくのは……ヴィゼル。
「ヴィゼル……!」
 今度こそ間に合わない。
 祭司に抱き抱えられ動けないでいるヴィゼル。彼女に向かっていく煌めく短刀。
 振り上げられる。
 彼女の手前。
 間に割り込む影。
 カリーナ。
「させんっ……!」
 彼女が剣を出す。
 銀色の光を放つ細長い刃。
 それを胸板に突き立てる。
 背を塗り替える鮮血。
 妖しく煌めく刀身。
 胸を貫いた剣。
 弾け飛んだのは、一つの命。
「――――」
 ……静寂が、続いたような気がした。
 風すらも、その瞬間には動きを忘れたように思われた。
 全てが止まった。
 音も。
 時も。
 鼓動も。
「――……うおぅ」
 空間の結界を破いたのはそのような声。
 キリアンだ。
 それを皮切りに、人は容易く動き出す。
「……ヴィゼル様。ご覧になってはなりません……」
 祭司の声。
「……早くつれていけ。先程の人影も仲間だろう。逃すな……」
 将軍の声。
「……見事っすね。さすがはジグルの剣。こんなにあっさり胸を貫くなんて。ね、兄貴」
 キリアンの声。
 呼ばれ、やっとザインは正気に戻る。
 眼下の地に、身体に剣を突き立てられた、赤い血潮に染まる人が横たわる。あっけない幕切れ。いつ見ても人の死の瞬間は無惨だ。
 そしてもう一人、その亡骸を見つめる人。
 剣を突き立てた、カリーナ。
 両眼を見開き、刺客の胸にやった剣を持った形のままで動けないでいる。
 彼女の目には、おそらく何も映ってはいまい。
「カリーナ将軍」
 そばに寄ってきた他の将軍の声で彼女も正気を取り戻す。我にかえり、向き直る。
「よくヴィゼル様を守ってくれた。かえり血を浴びているな。もう今日は良い。天幕に戻り、休息を取れ」
「は」
 少しの間の後、徐に歩き出すカリーナ。跨がってきた馬に寄っていく。
「傭兵か。お前たちも戻れ。今回のことは多めに見てやろう」
 そんなことを言い置き、将軍も去る。禊の場所を移すことにしたらしい。
「兄貴、帰りましょうか」
 背後でキリアンがそう言う。ザインは彼を振り返り、またすぐに視線を流した。先には、カリーナがいる。彼女は、付いていくという部下を振りきり、一人馬を走らせ森の中に消えていく。
「キリアン。お前先に帰っていていろ」
 口早にそう言い残すと、ザインは走りだした。キリアンが驚いているようだったが気にはならない。
 ザインは一人、カリーナの消えた森に入っていった。


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