番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし
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異空間の司 番外編

穴守の追憶

written by 望月あさら
■  1  ■


 ――心して聴くがいい。この場所に関する事は、一切口外してはならない――


 初めてその場所を訪れた時、馴染みのない上官は自分にそう告げた。自分が二十三歳の時だ。
 人事異動の激しい頃だった。自分も移動願いを出してはいた。ただ、だからといって、上官命令でその場所に連れて行かれる理由はまるでわからなかった。自分は確かに、対『魔』戦闘要員となることを希望していたのに。
 連れて行かれた場所は王宮の奥だった。王宮には、政治を行う各省庁の執務室や執行部があり、未来を担う者達を育てる学校があり、学校に通う者達の寮があり、世界最大を誇る蔵書庫があり――とにかく広い事は間違いがない。王宮内の学校に通い、卒業後は王宮に就職した自分は、けれどもその広い敷地内をほぼ踏破している。足を踏み入れたことのない場所は、主に高官たちが根をはる執務室や会議室や貴賓室。それと、王が住まう居住空間ぐらいなものであった。
 ――連れて行かれた場所は、その、王の居住空間のすぐ近くだった。
 このあたりに来てはならないと、自分は心の奥底から思っていた。自分だけではない、王宮で学ぶ者、職を持つ者のほとんどが、この場所に立ち入ってはならないと深く信じていた。誰にいわれたからかはもう覚えてはなかったが、やんごとなき王の住まう場所の近くだ、だから駄目なのだと思っていた。
 なのに突然、自分は誰に咎められる事もなく、その場に至っていた。王宮内は全て白で統一された造りとなっていたが、途中から壁や柱に赤や青や茶色の模様が描かれるようになる。その模様はまさに「一般人立入禁止」を無言で宣告していて、その模様の中に足を踏み入れた頃から、自分は静寂に包まれるようになった。
 陽があがり、陽が落ち、また昇っても、決して無人になることのないこの王宮内にあって、自分の息遣いまでが明瞭に聞こえるような静寂はとても異質なものであった。
 そう、異質、だったのだ。
「ここが、今日から君の持ち場になる」
 何度も廊下を曲がって辿り着いた先は、一つの簡素な部屋であった。部屋の一方は一面の壁で、壁の反対側にはぽっかりと空いただけの小さな窓、残りの二方には木戸がある。一つは、今自分が通ってきたもので、もう一つは自分の眼前で閉ざされている。木戸は、質素で壁や柱のように模様を描かれているわけでもなく、けれども表面は磨かれていて、王宮内、王の居住近くにあるという威厳を何とか漂わせているようなものであった。
 上官から正式に異動先を告げられた自分は、木戸を前にしてそれが何であるかを理解した。
「……これは、『穴』でありますか?」
 問えば、上官は短く「そうだ」と答えた。すぐに自分がその扉の正体を見破れたのにはわけがある。王宮に就職してからずっと、自分は穴守≠していたからだ。本当はとても遠くにあるはずの場所に瞬時に連れていってくれるのが、『穴』。ただそこを通るだけで、気候も風土も違う場所にいけてしまう。それが『穴』。
 王宮内には無数の『穴』がある。完全な管理下に置かれているのは三十余りだが、意図的に塞がれたものもあるので実数はわからない。自分はずっと、その『穴』の番人をしていた。使用する者の記録と取り締まりと『穴』の維持。
 異動の希望は対『魔』戦闘要員だった。『精霊使い』の花形の職業。肩書きだけで子供から大人にまで尊敬の眼差しを向けられる。自分も幼い時から、前線で活躍する事を夢見ていた。人の敵である『魔』と戦う、そのような『精霊使い』になりたいと夢見ていた。
 しかし、異動願いを出していた自分がこの場に連れてこられたということは、今までと同じように『穴』の前に連れてこられたということは――。
 現実を自分はすぐに理解し、落胆した。あからさまに、感情を顔に出したかもしれない。その時、上官は重々しく、自分にその言葉を告げたのだ。
「グレッド・ランフィーズ。心して聴くがいい。この場所に関する事は、一切口外してはならないぞ」


■  2  ■


 場所の事をいってはいけない。
 自分にどのような仕事が与えられているか、いってはいけない。
 この場所で会った人の存在をいってはいけない。

 今まで当たり前のようにしてきた事を急に禁じられた。単なる人事異動だったはずだ。なのに自分の人生は急転したと、転がり落ちてしまったのだと、もうお仕舞いだと、その時自分は思った。
 一人、突然特殊な部署に割り当てられたために、仕事が終わった後に同僚たちと不満を漏らしあう事も出来ないし、将来に嘱望する仕事を朗々と語る事もできない。ちょっとした称賛を浴びたいがために、故郷で自分がどれほど重要な仕事についているかを誇張しつつ自慢する事もできない。ばったりと元同僚に出くわし「今は何をやっているんだ」ときかれても、もちろん本当のことはいえはしない。とにかく、自分の持ち場、仕事内容の一切を、他人に感づかれたり勘ぐられるような言動はとことん慎まなければならない。
 「いってはいけない」。それだけの禁止事項であるはずなのに、その一言がもたらす制約の多さと細かさは、自分の生活をがらりと変えるだけの力を持っていた。
 酒が飲めないから酔った勢いで話してしまうこともない、勤務態度はとてもよく真面目で、上司や同僚からの信頼もあつい、だから君が選ばれたのだ。
 自分をここに連れてきた上官はそう自分を褒めた。「君は選ばれたのだ」。その言葉を何度も繰り返していた。だが、この異動が自分にとってよいものだとは到底思えなかった。
 この場所に割り当てられている穴守は自分も含めて三人だ。三人が交代で昼も夜もこの場所に詰める。つまり、この場所にいる間はずっと一人だ。一人の間は、この場を離れなければ何をしていてもいいという。『穴』に至る前のこの簡素な部屋が詰め所になるが、中で何ができるというわけではない。だから自分以外の二人は、ここでいつも簡単な事務処理をしているという。話を聞けば、それに没頭していて一日が終わる事も珍しくないという。
 それでは何の仕事に従事しているか、わからないじゃないか。
 その場所の穴守となった一日目、自分はいいようのない憤りと失望感を味わいながら詰め所にいた。何をするわけでもなく、風と時折聞こえる鳥の鳴き声と、定期的に打ち鳴らされる時の鐘の音を聞きながら、夕刻を向かえた。この半日の間でこのような仕事ならやめてしまおうと何度考えたかわからない。『精霊使い』という能力を宿した自分だ。王宮にいる数々の『精霊使い』に比べたら自分の持っている能力など取るに足らない程度である事はわかっているが、だからこそ対『魔』戦闘要員にはなれないのだろうが、それでも『精霊使い』は『精霊使い』だ。世界のどこぞかに行けば、喜んで向かえてもらえるほどの能力は有している。だから……と、そんな事も考えた。
 が、もう四半刻もしたら他の穴守と交代となる時刻に、始めて人の気配を感じたのだ。静かではあったが、確かな足音が近づいてきているのがわかり、自分は詰め所から飛び出した。この場所を利用するのはどんな人物なのか、自分に無理難題を強いる、その理由がわかるのではないか、それを確認したい気持ちで一杯だったのだ。廊下の向こう側、曲がり角にじっと目を凝らして、自分は人の到着を待った。顔が強張っているのは、自分でも充分に感じ取れた。
 現れたのは一人の少女だった。知っている少女だった。王宮内で知らない者がいないというほどの有名人だった。
 まだ齢十三だか十四だかの彼女だ。しかし、膝に掛かるか掛からないかぐらいの衣の裾を優雅に翻し、心地のよい拍子をとっているかのような音を足元で打ち鳴らし、自分に近寄ってくる少女の姿を見ていれば、憤りに高ぶっていた自分の心がいつの間にか、すとん、と落ち着いていることを知る。強張っていた顔からも力が抜け、ただ呆然と目の前の少女を見下ろしていただけとなっていた。
 そう。気がつけば彼女は自分の目の前にいた。自分の前で足を止め、自分の顔を見ていた。自分は廊下に出てはいたが、行く手を塞ぐかのように立ち塞がっていたわけではない。だから、無視をしてすれ違うことは容易にできたはずなのに、なのに、彼女はわざわざそこで足を止めていた。わざわざ自分に向き直って、わざわざ自分の顔を見上げていたのだ。
 なぜ……、と考えている間に、少女は自分に微笑んだ。落ち着いたはずの鼓動が、先ほどよりも更に激しく、再び打ち鳴らされはじめたのがわかる。
 彼女は、『花の司』ミオ。
 つい先日任命され、『司』の地位についたばかりの少女だ。『司』――対『魔』の急先鋒となる人々。『精霊』を操ることのできる『精霊使い』としての力と、『魔』を土に返す『浄化』という力、その両方の力を持ち、なおかつ『司』として相応しいと認められたほんの一握りの人間しか到達できないその地点。
 『精霊使い』や『浄化者』が子供達の憧れの的であるならば、『司』は老若男女を問わず、人々の憧れであった。憧れであり、期待であり、畏敬の対象でもあり、場所によっては伝説にもなりうる存在。
 自分も当然のように憧れの目でその肩書きを負う者たちを見ていた。『司』と同じ王宮内にいることはわかっていながらも、接点がなく、遠くから時折その姿を見るにしか留まらなかった彼ら。自分が尊敬の眼差しを向けたのは、先日その地位を明け渡したばかりの先代の『司』だ。威厳と気品と自信に溢れた彼らに少しでも近づきたいと何度願ったことか。そうだ。そう願ったからこそ、自分は対『魔』戦闘要員になりたいとさえ思ったのだ。
 なのに、希望した役職には就けず、閑職と感じたこの場に身を置いて、まだ就任したてとはいえ正真正銘の『司』とこうして向きあうことになろうとは。夢想すらしなかったことだ。しかも目の前にいる彼女は、『花の司』。周りに花を携えて歩く、と人々に囁かれ、それを名にした少女。まさに『司』に相応しい器量の持ち主だ。
「新しい、穴守の方ですね?」
 そんな少女が、自分に向かって微笑んだ。鼓動はいっそう激しく打ち鳴らされ、頭が急に重く感じられた。口の中が乾いたせいか声は滑らかに発されず、それでも返事をしなければと無理に力を入れれば、「はい」という声は無残にも裏返った。
 あまりもの緊張と恥ずかしさで、顔に熱がこもる。自分の顔は赤くなっていてそれを目の前の少女に見られていると思えば、ますます恥ずかしい思いで胸が一杯になる。いっそ笑い飛ばしてくれたほうがどれだけ楽になるだろうかと彼女の大きな笑い声を期待したが、ミオはいかにも『司』らしく、朗らかな笑みを湛えるだけだった。
「この場所の穴守は他にはない苦労も多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。何かと頼りにさせていただく事もあるかと思いますので」
 澄んだ穏やかな声が耳に届く。反射的に胸に拳を当てて、自分は礼をしていた。跪いて最高礼を向けたい衝動にも駆られたが、先にミオが軽く頭を下げたので膝を折ることはできなかった。
 本当に『司』というのは話にたがわず素晴らしい、と、扉を開けて『穴』の向こうへと消える少女の後姿を見送って自分は感じ入っていた。
 そして、自分は気持ちを改めた。この『穴』の先がどこなのか、なぜ『司』が頻繁に利用するのか、なぜこの『穴』だけ全く人気のない場所に位置しているのか。理由など、わからない。けれども、口外してはならないのだ。隠し通さなければならないのだ。自分は頑なにその契約を守るだろう。誇りを持って口を閉ざすだろう。『司』が利用している、『司』のためになれる。それだけで、この役職にいる意義を自分は見いだすことができたのだ。


■  3  ■


 自分が新たに担当となった『穴』は、数人の『司』御用達の『穴』であった。当代となる『司』は全部で九人。彼ら全てと接することができるのでは、といった淡い期待は打ち砕かれていたが、それでも数人の『司』が頻繁にこの『穴』を訪れる。そのたびに、自分は目をとめてもらえる。それだけでも充分に幸せを感じられていた。
 ただ、憧れの『司』とはれて知り合いになれたためにわかってしまったこともあった。最初に会った『司』ミオは、まさに想像通りの『司』の体(てい)をしていて感激したのであるが、……決して全員が全員、そういうわけでもないのだ。
 そういわざるを得ない筆頭は、『創造の司』であるリーツェだろう。彼女はミオよりも幼く――年齢も、であるが、外見も、少女と呼ぶにも気が引けるほどの子供ぶりで、髪はいつもぼさぼさ、仕草もやんちゃ坊主のごとく荒々しく、例えそう紹介されたとしても人々の憧れの的である『司』とはなかなか信じられない印象の持ち主だ。
 自分もやはり、初めて会い『司』と名乗った彼女の顔を、暫くじっと見下ろしてしまったものだ。その時そばにいたミオが口添えしてくれていなければ、いつまでたっても彼女のことを『司』とは信じられなかったかもしれない。ただ、そのような印象を持たれるというのはリーツェ自身も自覚のあることのようで、その、少年のような仕草をする小柄な『司』は、目尻を鋭くつり上げると、呆けている自分に宣告したのだ。
「あのね、『司』に夢見ていちゃあイカンよ。『司』ってっても人間。人に感嘆の溜息出させる『司』もいれば、落胆の溜息出させる『司』もいるわけ。わかる?」
 その時自分は、「わかります」とはっきり答えた覚えがある。「わかりました」ではなく「わかります」だ。そんな自分の反応に、『花の司』はくすくすと笑い、『創造の司』は「それでいいのだ」と腕をぐっと伸ばし自分の肩を叩いた。
 ミオを始め、他の『司』は皆年下とはいえ、どうしても萎縮してしまう。それだけの威厳や気品を備えているともいえるのではあるが、どこか自分の中で肩書きに対する壁を作っていた感は否めない。しかし、リーツェだけは違った。
 肩を叩かれたその瞬間から、自分は彼女に認められたような気がして、近づけたような気がして、今では『司』の中の誰よりもさばさばとした性格の『創造の司』に妙な親近感を持っている。


■  4  ■


 『司』御用達の穴守の任につき時を重ねて行けば、自ずと余裕が生まれてくる。元々、『穴』の特異性を考えなければ、他の穴守のように『穴』の利用者を記録したり取り締まったり、持ち運びの禁止されているものがないかを調べたり、といった細々とした仕事がない分、とても楽な持ち場なのだ。『穴』を利用する人たちも限られているため絶対的な通行量も少なく、状況の変化にも乏しい。日々気を使うことは、『穴』の維持と、もてあます時間を埋めるために運ばれてくる事務仕事をいかにこなしていくかということと、ときどき通る『司』とどれだけ楽しい会話ができるか、ということぐらいだった。
 変化の乏しさ、刺激のなさに、時には本当に嫌気の指すような事もあるが、それでも、全く事件が起きないわけでもない。
 自分がこの持ち場につくより前から考えても、一番衝撃的だったといえるのは、『司』御用達の穴守となってから五年が過ぎた頃に起きた事件だ。


 その日もとても穏やかで、燦々と陽射しは降り、爽やかに風は吹きそよいでいた。
 朝、仕事に就く前に統括部でもらった時間つぶしの事務処理は昼過ぎには終わってしまっていて、もう少しやれることはないかと、自分はその時、持ち場を離れていたのだ。
 このようなことは、何もその日に限ったことではなかった。毎日何度かは持ち場を離れる。離れて無駄に時間を潰したりはしないが、何かと理由をつけて自分を納得させ、気分転換をはかっていたことは確かだった。『司』御用達『穴』の穴守は常時一人だから、その間、場には番人がいなくなる。けれども、少々の時間誰もいなくなったところで特に問題は起きないだろう、というのが、自分を含めたその場の穴守全員と、『穴』の存在を知っている者たち全員の見解だった。
 しかし、そう。その時は、自分が席を外している、その間に問題は起きてしまった。
 統括部から書類の束を渡され、それを抱えて戻ろうと廊下を歩いていると、人々のざわめきと奇声が聞こえた。発生源は自分の進行方向で、そこはまだ一般人の立ち入り禁止区域ではなかったが、あと数歩も歩めば壁には模様が施されている、そんな所だった。
 ざわめきの発生源を目にすると、十人ほどが何かを取り囲んで声を出している。「誰だ」「どこから来た」「これはなんなのだ」口々に皆は尋ねる。何事かと、自分は人垣の間からその中心を見やった。そこにいたのはまだ幼い、十歳ぐらいの少年だった。だが、自分を唖然とさせたのは子供がこのような場にいる、という事実ではなかった。その子供の服装だった。今までに一度も見たことのない意匠の服。普通の『穴』の番人も三年勤めた自分である。世界のあらゆる服を目にしたことがあったが、少年のまとっているものはどこの物ともいえぬ、不思議な形と不思議な素材で出来ていた。
 おそらく、自分が唖然としたのと同じ物のために、彼を囲む大人たちは、彼を追い出すよりも先に問いただしているのだろう。ただ、囲まれている少年はひたすら怯えているようにも見えた。大人たちの顔を忙しなく見返していたかと思えば、全身にぐっと力を入れて吠えたのだ。先ほどの奇声はこの声だった。腹の底からの必死の抵抗なのかもしれない。
 するとその時、輪に強引に入ってくる者があった。
 『霧の司』ユウキだった。
 ユウキが人垣をかき分けて輪の中心に入り少年の目の前に立てば、少年はまた吠える。そんな少年に向かってユウキは口を開いた。荒々しく何かを喋った。内容が聞き取れなかったのは離れていたからではない。音量は充分だった。ただ、訛りがひどかった。自分が今までに聞いたことのないほどにひどい訛りの言葉だった。
 一言二言、少年と言葉を交わすと、ユウキは聞き取れる言葉で告げる。
「お騒がせして申し訳ない。この子は俺が引き受けるので、皆さんは持ち場に戻ってください」
 疑問の声も受け付けず、ユウキは少年の腕をとると強引にその場を離れる。ユウキが向かった先は、王宮の外ではなかった。むしろ逆。王宮の奥だ。『穴』に至る方角だ。
 自分はすぐに事情を察して彼の後を追った。ほとんど走るような状態で二人は進んでいったので、迷路のようなこの場所、途中で姿を見失うが、自分は迷うことがなかった。
 二人に追いついたのは『穴』の直前だった。扉の前で『司』と少年が何か言い合いをしているようだった。ようだった、としかいいようがないのは、相変わらず二人の喋っている言葉は訛りがひどくて、まるで聞き取れなかったからだ。
「フィロス」
 『司』の敬称でもってユウキに呼びかければ、彼は明らかに驚いた反応で自分を振り返った。まだ十九歳とはいえ、『司』として任を全うしている彼である。これほどわかりやすく動揺の様をさらけ出すのは珍しいとしかいいようがない。しかしだからこそ、自分は自分の直感が正しいことを確信した。「ここに少年がいる」その本当の意味を悟り、血の気が引いた。
 どのように謝罪すればよいのだろうか。それを咄嗟に考える。弁明など出来はしない。ただ、出来るのは自分の非を認めることだけだ。いや、もしかすると謝罪の言葉すら受け入れてもらえないかもしれない。何も自分が出来ることなどないのかもしれない。けれども、自分の過ちの挽回ぐらいはなんとしてでもこの手で行いたい。それを果たして、目の前の『司』は許してくれるだろうか――。
 一瞬にしてそのようなことが頭の中を駆けめぐる。そばまで寄って謝罪の句を口にしようとするが、『司』の方が口を開くのが早かった。
「申し訳ない、グレッドさん。俺の過失だ」
 先に謝られてしまい、出かかっていた言葉は喉に張り付いて止まる。目まぐるしく考えていたはずの事柄が全て消え去ってしまい、まじまじと彼を見返すことしかできなかった。と、『司』は自分の顔から何を読み取ったのか、表情をいっそう硬くしたのだ。
「こいつは俺の弟です。こいつのことは全部俺が責を負います。上層はあなたに何か言ってくるかもしれませんが、それは間違いだし、『司』に刃向かえない者の言いがかりに過ぎない。あなたはいつものようにしていればいい」
 『司』が何を言っているのか、それがわからなかった。今度は言葉が聞き取れなかったのではない。内容だ、理由だ。なぜ自分が彼に庇われなければならないのか、その訳だ。
「ちょ……ちょっと待ってください、フィロス。どうしてそのようなことをいわれるのかが自分にはわかりません。この少年は『穴』を通ってきたのではないのですか? でしたら、この場所の穴守であるにもかかわらず、この場所を離れていた私の過失のはずです。あなたに責を負ってもらうことは何も――」
 ユウキは、少年が『穴』を通ってきたという事実を否定しなかった。そう、この不思議な少年は『穴』を通り、王宮にやってきたのだ。『穴』の先がどこに繋がっているのかは自分は知らない。けれども、『司』が頻繁に利用し、王宮の人気(ひとけ)のない場所に位置し、他言絶対禁止の特別な『穴』だ。少年がここを通ってやってきたとするなら、彼のひどい訛りも見たことのない衣裳も納得がいく。
 そしてそうであるのなら、やはり今回のことはこの場を預かっている自分の過失のはずである。なのに、『司』はそんな自分の主張を遮るのだ。
「いいや、それは違う。こいつは俺についてきてここまで来てしまった。俺がちゃんと注意を払っていればこんなことにはなっていなかったんです」
「しかし、そうだとしても、私がちゃんとここにいれば――」
「グレッドさん。申し訳ないですが、話はまたあとにしましょう。先にこいつを【あっちの世界】に連れ戻す。それから改めて事後処理は行います」
 ユウキは告げると自分の反応を見ることもせずに少年に向き直った。ずっとつかんだままだった少年の腕を少々強引に引っ張ったのは彼の焦りと苛立ちの現われだったのだろう。急に引っ張られ少年は声を上げた。「痛い」とでもいったのかもしれない。するとその時、周辺の空気がざわめいたのだ。厳密には空気ではない。『精霊』だ。人間の目にはとらえることの出来ない彼らが、少年の声に反応したのだ。うごめいた『精霊』は、少年の周囲を水の渦となって巡り、すぐに弾け飛んだ。水滴が地面に落下する。ポタポタポタ、と、床の上で音がする。
 沈黙が落ちる中で、自分は目を見開いたまま、今目にしたことを確認するかのように口にするのが精一杯だった。
「弟君は、『精霊使い』なのですか……!?」
 ユウキの顔色が変わったのを自分は見て取っていた。そこに自分の背後から足音が近づいてきた。三人分の足音だ。普段滅多に人の来ないこの場所にしては異例としかいいようがない。振り返れば、扉の開け放たれた部屋の外には、顔だけ知っている統括部の高官が息を切って居並んでいた。一人が、興奮の様もあらわに叫ぶ。
「その『精霊使い』の少年はユウキ殿の弟君だと!? だとしたら両有者か!?」
 自分が一番気になったことも同じだった。両有者――『精霊使い』と『浄化』、その両の力を有する者。『精霊使い』がどのような環境下で生まれ出るかはわかっていないが、『浄化者』には血縁の関連性がある程度は認められている。『精霊使い』の力を持つ少年が両有者である『司』の弟だとしたら、彼にもまた『浄化』力が宿っているのではないか、つまり、貴重な両有者なのではないか、と――。
「やめてください! 俺はこいつをこの世界に関わらせるつもりはないし、第一、兄弟といっても俺とこいつの血は繋がっていない! とにかくこいつを【あっちの世界】に戻す方が先だ。説教も罰を科すのも後にしてください」
「しかしユウキ殿! 弟君に力があるのなら彼を引き留め育てることは王宮のためにもなる。兄上として心配されるのもわかるが、我らとしても見過ごすわけにはいかない」
「だからって、こっちの言葉も喋れない、変な服着たこいつをここに置いておく訳にはいかないでしょう!?」
「ならば、後日改めて連れて来てくださるということでよろしいですね?」
「どうしてそうなるんですか!?」
「いいですか。『精霊使い』である彼の姿は、すでに何人もの人が見ています。王宮内に限られているとはいえ、我らや『司』が押さえきれるほどの数では最早ない。そして皆、弟君とユウキ殿の関係をいぶかしんでいることでしょう。今回のこと、自身に過失があるとおっしゃられる以上は、最善の挽回策をとっていただきたい」
「……だから、こいつに『浄化』力のある保証はどこにもありません」
「承知の上で申しています」
 関われない水準での話題に自分はただ黙っているしかできなかった。一人の少年を巡って、王宮の顔ともいうべき『司』と、政を実際に動かしている高官とが争っている。とんでもない現場に立ち会っているのかもしれないと思い、果たして議論の中心にいる少年がどのような表情をしているのかと視線を動かしたのと、彼が兄の手を振りほどいたのとが同時だった。
 「あ」と声を上げれば少年は駆け出す。高官たちの脇をすり抜けて、再び部屋を飛び出していく。
「ジュン!」
「ユウキ殿!」
 その後、王宮内では大捕物が行われた。少年が驚くと必ず『水の精霊』が現れるので、そのうち王宮内は水浸しになったという。伝聞形でしか語れないのは、自分はもうこの場を離れるべきではないと、捕り物劇に参加しなかったからだ。だが、無事少年を捕まえ、再び彼の腕をとって自分の前に現れたユウキを見れば、苦労のほどはいやというほどに伺えた。はあはあと大きく肩で息をし、体のあちらこちらを濡らしたままで、とにかく『穴』をくぐってしまおうと必死の形相だったのだ。
 自分は、『穴』の向こうに消えていく二人に、「ご苦労様です」と声をかけ見送ることしかできなかった。少年はおろか、いつもは返事ぐらい返してくれるユウキも、自分の言葉を無視して扉を閉めた。が、すぐにその扉が開く。全部は開かない。顔が覗けるぐらいだけ開き、まだまだ荒い呼吸を繰り返すユウキが自分を見た。
「グレッドさん。今回のことでくれぐれも休憩をとっちゃいけない、なんて思わないでください。何度もいいますが過失は俺にある。あなた達、ここの穴守にはただでさえ無理強いをしているのですから、出来るだけ楽にしていただきたい」
「……では、ユウキ殿。弟君のことは……」
 「自身に過失があるという以上は、最善の挽回策をとってもらいたい」。それは先ほどの高官の言葉だ。未だに彼が、自分の過失、ということは、高官たちの望みを受け入れたということにならないのだろうか。つまり、これからも弟君を王宮に連れてくるという――。
 困惑する自分に、顔だけを見せた『司』は微笑んだ。先ほどまでのギスギスとした感のない、柔らかい表情。
「弟のことは、弟自身に判断させることにしますよ。こいつに『浄化』力があると決まったわけでもないですし。そんなことよりも、本当にあなたは責任を感じないでくださいね。……いつもあなた達には、感謝しているんですから」
 返す言葉の見つからないうちに、扉は再び閉まった。


 それから結局、ユウキの弟ジュンは、時折王宮に姿を見せるようになった。王宮に来ることは彼自身が強く望んだことだ、と、ユウキは自分に苦々しく漏らした。また、高官たちが睨んだとおりに、ジュンには『精霊使い』としての力だけではなく、『浄化』力も備わっていることが程なくしてわかり、ますます彼は王宮との繋がりを深くしていった。
 ジュンは、『穴』を通るたびに兄に負けないほどのすがすがしい笑顔を必ず自分に向けた。当初、全く会話できなかったほどの彼のひどい訛りは、自分も何度か練習相手になった成果もあるのだろうか、すぐに問題を感じさせないほどとなっていった(ただ、「訛りがとれましたね」というと、彼は必ずはにかんだような顔をして、「訛っていたわけじゃなくって、違う言葉を喋っていたんだけどなあ」と口にしたのである。その意味が、未だに自分にはよくわからない)。
 そして、ジュンが『穴』をくぐり王宮に迷い込んでから半年がたった頃。彼は兄であるユウキの弟子となった。
 『司』の弟子――つまりは、次期『司』の候補生に。

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本編情報
作品名 異空間の司
作者名 望月あさら
掲載サイト 白夢砂漠
注意事項 年齢制限なし / 性別制限なし / 表現制限なし / シリーズ連載中
紹介 求めたものは強さだった。
自分らしく生きるために。
未来を信じていくために。
幸せを願うために。
愛する人を守るために。
少女と少年は、異空間へと足を踏み入れる。

人間・『精霊』と『魔』との攻防を縦糸に、数多の登場人物たちの生き様を横糸に、連綿と織り重ねられていくアクションファンタジー。
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